趣味道楽

 人には、趣味が必ずといっていい程ある。石山賢吉の場合、もの書きが1番と思われる。なぜなら、職業柄、あらゆる対象に興味をもち、かならずそれを調べあげ、勉強し記事にするわけである。趣味といえば、遊びに近いように思うが、やはり造詣に富んでいることが条件である。若い頃、郷里新潟で芝居小屋に通った。以来芝居見学にかけてはかなりの年季がはいっている。著書「人間学」のなかに、芝居の思い出、芝居と私などの随筆をかいている。

 好きな道というか、趣味は多彩である。将棋、野球、相撲、ボクシングに熱心だった。小唄、踊り、歌舞伎、新劇、歌劇、そして人物道楽、人間が好きなのである。

 2番目は将棋であろう。将棋を指すのが好きで会社でも、交詢社の将棋会にもよく顔を出した。師は大崎八段、溝呂木八段で、石山は参段の実力だった。時事新報と大阪新聞に戦後6年間将棋観戦記を連載した。読売新聞の将棋欄に鉄仮面の名で、将棋観戦記を書いた。これが評判になり、将棋界の世話は至れり尽せりだったという。木村名人とは長い付き合いで、戦後、「将棋連盟の復興に,石山さんには莫大な恩顧がある」と木村名人は述懐している。

 昭和7年、武藤山治が時事新報の経営を引き受けた時、石山は重役として参画した。武藤は先年、鐘紡を発展させた経営者で慶応の大先輩としてつねに師事していた。武藤の持論である労働問題解決法、軍人優遇論、政治一新論などダイヤモンド社から出版している。時事新報は慶応の伝統を継ぐ名門紙であり、石山もできる限りのことをした。が、不幸にも武藤が凶弾に倒れ、素志はついえたが、あとあとまで、当時の記者同人の面倒をみた。評者は"石山の人物道楽"というが、たしかにそういう面は、うかがいしれないがあるように思える。