15年戦争へ
満州国の開発と軍需工場の勃興によって、経済界は好景気になった。ダイヤモンド誌も俄然売れ行きが増加し、発行部数は以前よりも最高の二倍になった。第一次大戦の好況時代についで、第2次"ダイヤモンド黄金時代"が到来した。
ここで石山賢吉の生きた時代背景を見てみると、19世紀後半から20世紀前半にかけての日清・日露戦争・第一次大戦を通じて、日本が台湾、南樺太、朝鮮半島を植民地にして、満州にまで侵略していった時代背景には、国土の中で農業を発展させることを至上の課題とし、それを基盤に産業を発展させ、強力な軍隊を作り上げるいわゆる「富国強兵」、そのために全力を上げた時期である。産業革命の急進展で企業の勃興期となり電鉄や電気事業、銀行が盛んに起業された時期と相まって綿糸・紡績業が急成長した。
ダイヤモンドの創刊後、大戦景気の反動で恐慌が勃発、株式や米や生糸が暴落し、また大正9年には各地で銀行の取り付けが頻発した。昭和2年には全国的な金融恐慌に発展し鈴木商店など準財閥系企業が破綻してしまった。昭和5年の金解禁後、満州事変が起こり、翌年満州国が設立、また上海事変の勃発で時局は軍国主義化したのである。昭和8年国際連盟を脱退、ますます日本は孤立した。昭和11年2.26事件、昭和12年日華事変と日本は15年戦争へ突入していったのである。
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