ブックタイトル創価学会と共産党
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創価学会と共産党
32 最年長の小平は創価高校を卒業、創価大学時代は学生の人材グループ「池田学校」にも選抜された、いわゆる〝創価エリート〟の道を歩み、大学を卒業した99年、東京・信濃町の学会本部に就職した。 地元川崎の学生組織をまとめる川崎南部エリアの学生部長となり、会員勧誘(折しやく伏ぶく)や選挙の集票で後輩に「成果」を求めた。目標を設定し、成果を挙げて上層部に評価されることに充実感を覚えた。 だが上意下達のやり方に後輩の学生部メンバーは疲弊していく。あるメンバーが別の幹部に「苦しい」と涙ながらに訴えたことを知り、小平は「成果に心を奪われていたことを恥じ、猛省した」。成果主義のまん延対話を拒む組織の硬直化 成果主義の風潮は、当時の本部職員にまん延していた。学生部の運動方針を決定している中央組織部の幹部は、組織ごとの折伏成果をランキング化し、互いに競わせた。成果が乏しい組織は暗にプレッシャーをかけられた。