セコム その経営と真髄

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51 第1章 創業者・飯田亮の生い立ちと、創業に至るまでを迎える。相模湾に入ってくる軍艦を目にして、敗戦の現実にやるせない思いをつのらせたのだった。通学途中、米軍兵士が日本人にチューインガムやビスケット....

51 第1章 創業者・飯田亮の生い立ちと、創業に至るまでを迎える。相模湾に入ってくる軍艦を目にして、敗戦の現実にやるせない思いをつのらせたのだった。通学途中、米軍兵士が日本人にチューインガムやビスケットを投げていた。飯田氏は、「鬼畜米英」から食べ物なんかもらえるか、という思いでそれらを下駄で踏みつけた。だが、その抵抗もむなしく、これまでの軍国主義から民主主義へと、日本国と日本人の価値観が180度変わったのだ。そして、飯田氏の「青春戦前編」も終わった。 戦後の食事情も災いしたのか、飯田氏は終戦から2カ月ほどして慢性胃腸炎を患い、休学せざるを得なくなった。中学校を1年留年した上、学制が変わり、計7年間、湘南中学・高校に通った。その頃、現・東京都知事の石原慎太郎氏や、文芸評論家の江藤淳氏とも出会った。石原氏が一橋大学在学中に芥川賞を受賞した小説『太陽の季節』に登場する主人公のモデルが飯田氏であると噂になったことがあったが、「あの頃、彼とはそれほど親しい仲ではなかった。ともに海が好きだったが、一緒にボートやヨットに乗ったことがない」(飯田氏)。しかし、今も付き合いが続いている。「下田に行くから、船が停泊できるところを確保しておいてくれ」と、石原氏から飯田氏に電話がかかってきた。船が港に到着すると、地元の人が「写真を撮らせてください」と言って集まってきた。ところが、石原氏は「嫌だよ」の一言。 そんな石原氏を、飯田氏は「言いたいことが言える。色っぽくないが、嫌味もない」と面白がって見ている。