震災死

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015 第1章 医師がみた「大震災の爪痕」る。法医学・医療監修を行なったドラマや映画は、『ヴォイス?命なき者の声?』(フジテレビ系)など多数に及ぶ。3月11日の震災直後には、警察庁からの依頼で他の医師9人(そ....

015 第1章 医師がみた「大震災の爪痕」る。法医学・医療監修を行なったドラマや映画は、『ヴォイス?命なき者の声?』(フジテレビ系)など多数に及ぶ。3月11日の震災直後には、警察庁からの依頼で他の医師9人(そのうち、5人は歯科医)とともに被災地に入った。子どもの頃、岩手県の宮古付近で生まれ育ったと前置きしつつ、こう続けた。「この地域の大人は、これまでに何度も“津波が来る”と言われ、避難することに慣れていた。それでマンネリになり、今回も大きな津波は来ないと思い込み、逃げ遅れた可能性がある。もしかすると、“避難慣れ”が災いしたのかもしれない」警視庁の緊急車両に乗り、都内から宮城県に向かったのは3月13日の夕方。宮城県内の海外沿いの道路などは破壊され、交通規制がなされていた。停電も続いていた。そこでJR山形駅前のビジネスホテルに他の医師とともに泊まった。そこから毎朝7時に警察車両で宮城県警察本部(仙台市)に向かった。県警本部に着くと、警察とミーティングを30分ほどかけて行なう。そこで、それぞれの医師が担当する遺体安置所を決める。そのうえで医師らは別々の警察車両に乗り、安置所に向かう。その頃、県内には南三陸町、気け 仙せん沼ぬま市、亘わた理り 町などに10ヵ所ほどの安置所があった。その多くは、中学校や高校の体育館だった。震災直後ということもあり、付近の海外沿いを見ると、漂流物に混じって多数の遺体が浮いていたという。安置所は卓球台をついたてにして、遺体を安置する場所、検死を行なう場所、身元確認を