次なる経済大国

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22時代だった。私を雇ってくれたのは、バンク・オブ・アメリカだ。正直に言うとそのころは世間知らずで、名前が英国銀行(バンク・オブ・イングランド)によく似ていたため、多国籍企業ではなく、連邦準備銀行のロン....

22時代だった。私を雇ってくれたのは、バンク・オブ・アメリカだ。正直に言うとそのころは世間知らずで、名前が英国銀行(バンク・オブ・イングランド)によく似ていたため、多国籍企業ではなく、連邦準備銀行のロンドン支店だと思い込んでいた。とはいえ、バンク・オブ・アメリカがチャンスをくれたのはありがたかった。当時の同行では、理論経済学がばかばかしいほど重視されていた。最初に分析を求められたのはイタリアだ。月に一度、リラの今後5年の展望を議論するため、サンフランシスコにある本社のエコノミストたちと電話会議を持つ。リラは変動が激しく、その日の値動きすら読めない始末で、将来予測などとんでもない。会議を数回重ねたあとでは、イタリアはすぐにデフォルト(債務不履行)に陥るだろう、と誰かが言い出すのは目に見えていた。当時、イタリアの政府債務の対GDP比はおおむね現在と同じで、100%をはるかに超えていた。イタリアがよろめき続けながらも、デフォルトに陥ることすらなかったという事実は、金融界にはわかってもいないことを吹聴する輩が多いことを、私に教えてくれた。その後、ロンドンのマリン・ミッドランド銀行に移り、1985年には、ニューヨーク支店勤務になる。ニューヨークはすばらしかった。実力社会である点が私には合っていた。能力があるかどうか、言っていることに筋が通っているかどうか、が重視された。ニューヨークでは、為替市場のエコノミストとして、外国為替トレーダーたちの騒々しい世界で過ごし、きわめて有能で果敢なトレーダーたちから学ぶことができた。テレックスが音を立て始めるのを待つのも、仕事の一部だった。最新のニュースを受け取る