目次


ありがとう! 次郎


[目次] [著者紹介]


表紙




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まえがき——二代目次郎より

僕たちの出会い
——太郎・二代目次郎コンビの序章

最初の一週間
——厳しい稽古を乗り越えて

太郎と僕の会話
——ぶつかり合いから生まれる絆

はじめての『反省!』
——太郎と僕の通い合う

デビュー公演
——焦りと緊張と

紀伊國屋ホールでの公演
——僕たちの挑戦

さよなら、僕の故郷
——失った家族

次郎の結婚
——新しい家族を与えられて

僕の後継者
——太郎の子どもたちへの思い

ふたつの家族
——血のつながりだけでない家族愛

全国をめぐる公演の旅(一)
——太郎が命を救ってくれた!

全国をめぐる公演の旅(二)
——太郎ったら

全国をめぐる公演の旅(三)
——太郎は僕を対等に扱ってくれるんだ

さるまわしという芸の本質
——人間の愚かさ

——初代次郎さんと太郎との時代

無言劇
——毎日の美しい風景や幸せな一瞬を思い出して

アメリカへの挑戦
——生きているという実感

引退公演前の二人旅
——ジャパンツアーの回想

三代目次郎へ引き継がれていったもの
——自由とは、不自由ということに気づくこと

死と直面して
——生かされているという奇跡

次郎、最後の言葉
——引退公演を前に

あとがき
——次郎の死、追悼公演



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著者紹介

村崎太郎(むらさき・たろう)
1978年、初代次郎と共にさるまわしを世に広め、『反省!』ポーズで全国的な人気者に。1989年に初代次郎が亡くなるも、「その死を無駄にしないためにも」と、二代目次郎の調教をはじめる。1991年には、動物芸では初めての文化庁芸術祭賞を受賞。1992年、米国での活躍が認められ、アメリカ連邦議会から日本伝統芸の称号を受ける。1998年には、親とはぐれた小猿をモン(現三代目次郎)と名付け、二代目次郎と共に育てる。2003年に二代目次郎を亡くしたのち、2005年3月、三代目次郎の襲名披露をし、さるまわしという芸に挑戦しつづける。

二代目次郎(にだいめ・じろう)
1985年、京都の嵐山の地に生まれる。1989年、4歳のときに村崎太郎とチビ次郎としてコンビを組み、1990年には、亡きハナ肇氏を後見人として、二代目次郎を襲名。以来14年間太郎・次郎コンビとして、『反省!』の芸で活躍。1992年、村崎太郎と共に米国に進出し、ニューヨークリンカーンセンターなどで公演。1996年には、専用の劇場「次郎おさるランド」オープン。1998年に結婚、盛大な結婚式の模様は国内外でニュースに。1999年、2000年、2002年と一男二女に恵まれる。芸をする猿の子どもの誕生は前例がない。2003年11月、一年後の引退公演を控えながらも、急逝した。


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