↑ページトップへ
プロローグ 40年以上、早朝からできる行列の裏側で
第一章 2品だけの究極の味を求めて
紫の一瞬の輝き
コップ一杯の「儀式」
「半紙一枚分の厚さ」を残す
「シュッ」という澄んだ音
「一日一五〇本」の意味
「四つの交点」をつかまえろ
風味を引き出すお手伝い
時計には頼らない─五感とデータ
四季が和菓子をつくる
同じ道内でも違う小豆の味
「問屋は育てるもの」
「武蔵野の水」が生命線
一日一万個売れる「もなか」の形
“丸い味”を求めて
種屋さんとは運命共同体
防湿セロファン紙を使う理由
材料費が上がっても、値上げはしない
第二章 たった1坪の店で
ダイヤ街の小さなお店
いまわの際に食べたい
早朝行列でできた「小ざさ会」
お客様がつくった行列のルール
家族も社員も関係なく並ぶ
赤道直下でも、羊羹は大丈夫
クレームを言われたらどうする?
引換券を「複写式」にした理由
一日置いた「もなか」の美味しさ
第三章 私の仕事観を形づくった出来事
吉祥寺の原っぱをかけめぐっていた頃
曾祖母─祖母─父へとつながる教育観
「一国一城の主」をめざして
「ナルミ屋」の主人と奥さん、繁盛の秘密
「そのものを、そのものと見るな」
工場で学んだ仕事の流儀
戦争とお店
いじめられなくなった祖母のひと言
サツマイモとカボチャが嫌いな理由
終戦後、家族に起こった数々の悲劇
三か月間、生死をさまよった私
帰らぬ父を思い、母が口ずさんだ歌
疎開の苦難が教えてくれたこと
第四章 屋台からの「小ざさ」創業
想像を絶する満州から父が帰還
あまりの暮らしぶりにショックを受けた父
生キャラメル「ミヨン」は、なぜ売れたのか?
「菓子づくりの鬼」との女子高生活
なぜ、「小ざさ」という名で船出したのか
三六五日、朝八時〜夜八時まで、屋台にポツンと立つ私
貧乏しているときにこそ、人の気持ちがわかる
記念すべき最初のお客様
泣いているわけにはいかない
小ざさの企業秘密
お土産にもっていけるものを
第五章 父から娘へ
なぜ、羊羹ともなかの二品に絞ったのか?
接客の極意
店の空気を澱ませない
私にだけ厳しかった父
「カメラマンになりたい」
女性がほとんどいない写真短期大学に、同級生より三年遅れの入学
たったひとり、砂川&安保闘争の現場へ
結婚のいきさつ
「フィフティ・フィフティ」宣言し、四畳半一間の新婚生活
男世界の「かま場」へ
カメラを封印
「一家を背負え」
写真と羊羹づくりの意外な共通点
二人だけの毎朝の儀式
「対角線の中心を探せ」
血糖値が四五〇になっても、“儀式”をやめなかった父
亡くなる前日の大晦日に、厳格な父が発したひと言
元旦の朝に、父が倒れた
自宅に戻った亡き父に、母が贈った言葉
第六章 障がいのある子どもたちと共に
養護学校の先生にほだされて
社内の従業員と衝突
お母さんとの連絡帳
“天使の笑顔”が生まれた瞬間
「ありがとう」の言葉が変えたこと
自閉症のタイチくんがやってきた
待つことの大切さ
障がいのある子も、みんなファミリー
宅配便部門のチーフになったミユキちゃん
「だから、急がなくていい」─いまも支えとなっている祖母の言葉
補助金を辞退する理由
第七章 次代に伝える
七〇歳からの自転車通勤
気分転換はゴルフとコーヒーで
大型百貨店がきたら、「コーヒースタンドで生き延びろ」
目をそらしたほうが負け
母の教え─「慈悲より言葉」
「親・子・孫」三代、小ざさで働く家族
忘れられない中国人留学生と二部学生
八回辞めて、八回戻ってきたパート従業員
「家の者は誰よりも働くように」
若い世代に伝えきれない悩み
「小ざさ丸」の船長として
エピローグ 125歳まで現役で─
謝辞
|