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プロローグ 「老後の初心」ということ
第一章 演劇作業における「古典」と「伝統」
能とその外部 —— 観世寿夫の軌跡
越境する伝統 —— 古典と伝統と
日本の伝統演劇とその言語
語ること、劇 —— 「語り」「演技」「身体」
風姿あるいは萬斎の身体
能あるいは深層の演劇
ピナ・バウシュあるいは 「タンツテアター」 —— 『魂と舞踏』の余白に
ピナ・バウシュあるいは 《素》 の身体
演出ノート —— 能ジャンクション 『當麻 —— 折口信夫「死者の書」による』
身体性のある言葉 —— 極めて個人的な体験について
「古典」と「伝統」──日仏間の舞台芸術の受容について(テクスト/制度/身体)
再び「伝統」と「古典」について —— 言語と身体
第二章 『繻子の靴』の余白に
『繻子の靴』 の余白に —— クローデル没後五十年ということ
『繻子の靴』 あるいはグローバル演劇
クローデルの余白に —— アーカイヴ、テクスト、そして
日本で書かれた傑作 —— ポール・クローデル 『繻子の靴』
クローデルと能
「足取り」のこと —— クローデル 『繻子の靴』 全訳と朗読の試み
第三章 クローデルの徴の下に
能の本を書くこと —— 新たな音楽劇を目指して
薔薇の名 —— 能の本を書くこと
『三輪』という能 —— あるいは神々のジェンダー
クローデルの詩による能 —— 創造の現場から
創作能台本 『内濠十二景、あるいは 《二重の影》』
創作能台本 『薔薇の名 —— 長谷寺の牡丹』
本の話 —— 故本庄桂輔氏に
カミーユあるいは閉じ込められた狂気
第四章 「墓」あるいは「喪の献盃」
観世榮夫氏を悼む
不機嫌なフランス文学 —— 阿部良雄の墓に
荻原達子さんのこと
“Show must go on!” —— 安西徹雄氏を悼む
「本当かよ」という問い —— 記憶のなかの太田省吾
加藤さんの眼力、あるいは 「聴き取る目」
第五章 越境する思想、あるいは知の脱領域── 異本『舞踏会の手帖』
「はざまのエアメール」 —— レヴィ=ストロースとの往復書簡
会話、あるいは軽薄なる断章 (フーコー/デリダ/プランション)
(1) 三日月を戴くヘルマプロディートス —— ミシェル・フーコーとの二時間
(2) 『シェークスピアのハムレット』の夜 —— 鏡と土と白煙と
『劇場の余白に』のための前口上
一つのアルケオロジー [山口昌男との対談]
受容の系譜学 [郡司正勝との対談]
性的なるものをめぐって [モーリス・ベジャールとの対談]
オペラと演出 [遠山一行との対談]
始原としての十七世紀 [ロジェ・プランションとの対談]
演出の現在 [アントワーヌ・ヴィテーズとの対談]
再び 〈虚構の身体〉 について [五代目中村児太郎=現・九代目福助との対談]
文化の構造について [フェリックス・ガタリとの対談]
パトリス・シェローの肖像 —— テクストと身体と
第六章 病み上がり『パリ感覚』
病み上がり 『パリ感覚』 (前編)
病み上がり 『パリ感覚』 (後編)
聖シャルリュス、あるいはプルーストのカミング・アウト
ロラン・バルトにわたしが負う二、三のこと
映画 『イスター』 —— 風景とテクスト、あるいは 《源泉回帰》
エピローグ
鼎談:「折口信夫と越境する伝統 —— 欲望と快楽の定位について」
(浅田彰、松浦寿輝、渡邊守章)
あとがき
初出一覧
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