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はじめに
プロローグ——揺れる「大化改新」像
■教科書に描かれた「大化改新」
■揺れる「大化改新」像
■「大化改新」像の近現代史
■いざ「大化改新」の真相を探る旅へ
第1章 浮かび上がる要塞都市・飛鳥——飛鳥発掘調査報告
■甘樫丘とは
■見えてきた蘇我氏の最期——甘樫丘の初期発掘調査
■絵巻に描かれた甘樫丘の蘇我氏邸宅
■ついに蘇我氏の邸宅跡が出現した——二〇〇五年度の発掘調査
■さまざまな「謎」を突きつけた二〇〇六年度の発掘調査
■甘樫丘の入鹿邸は一体何のために建てられたのか?
■甘樫丘は蘇我氏の「山城」であった
■蘇我氏の邸宅群に囲まれた要塞都市・飛鳥
第2章 何から飛鳥を守ろうとしたのか?——蘇我氏の国際認識
■飛鳥を都に定めたのは蘇我氏だった
■要塞都市・飛鳥のルーツは扶余にあった
■扶余は六世紀の東アジア情勢の緊迫が生んだ要塞都市であった
■隋唐帝国の脅威はその圧倒的な軍事力
■飛鳥は緊迫する東アジア情勢に備えていた
第3章 蘇我氏は「逆臣」だったのか?——『日本書紀』史観批判
■『日本書紀』が描く蘇我氏の「専横」
■天皇家最大の閨閥としての蘇我氏
■「王殺し」は蘇我馬子が指令したのか?
■蝦夷・入鹿は天皇の権力を行使したのか?
■山背大兄皇子の滅亡は入鹿単独の犯行か?
■蝦夷・入鹿は本当に自らを天皇家に擬したのか?
■「乙巳の変」は真相を伝えているのか?
■『日本書紀』皇極天皇紀は中国人が書いた
■「乙巳の変」は後世に加筆された
第4章 「大化改新」は本当にあったのか?——つくられた古代史の画期
■蘇我氏滅亡=「大化改新」なのか?
■改革の大綱「改新の詔」を読む
■「改新の詔」は後世の修飾を受けているのか?
■改新否定論の登場——「大化改新」はなかったのか?
■「改新の詔」を棚上げした「大化改新」肯定論?
■平行線をたどる「大化改新」論争
■大化の詔勅群は、後世に加筆された
■もはや『日本書紀』が描く「大化改新」は成立しない
第5章 蘇我入鹿はなぜ殺されたのか?——宮廷クーデターとしての乙巳の変
■蘇我蝦夷・入鹿にとっての古人大兄皇子
■首謀者は中大兄皇子か、軽皇子か
■中臣鎌足——その軍師としての役割
■古人大兄皇子が遺した謎の証言「韓人、鞍作臣を殺しつ」の意味
■中大兄皇子の保守的な外交スタンス
■中大兄皇子と正反対の入鹿の外交スタンス
■反動的クーデターとしての「乙巳の変」
第6章 「改新」はいかにして始まったのか?——「白村江」という外圧
■「改新」の原動力になった白村江の戦いとは
■白村江での敗戦が倭国に与えた衝撃
■飛鳥を守る三重の防衛システムとは
■防衛網構築のために必要だった中央集権化
■「改新」への助走をつけた天智天皇の改革
■真の「改新」は天武天皇の時代に始まった
第7章 蘇我氏はなぜ逆臣とされたのか?——勝者の歴史・敗者の歴史
■『日本書紀』の編纂過程から浮かび上がる一つの疑問
■天智・鎌足像の転換点としての持統朝
■律令国家の始祖とされた天智天皇と鎌足
■こうして天智と鎌足は『日本書紀』で顕彰された
■なぜ蘇我氏が逆臣とされたのか
■神として祀られた入鹿
エピローグ——新しい「大化改新」像を求めて
■「改新」ではなかった江戸時代までの「大化改新」
■「大化改新」は明治時代に「発見」された
■「外圧史観」の徹底としての「敗戦史観」
■今、「大化改新」を考えるということ
「大化改新」関連年表
おわりに
参考文献
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