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はじめに
第1章●ヨーカ堂・伊藤雅俊との出会い
〜昭和三五年 一九六〇年
《1》長岡という町に、生まれ育ったということ
◆質実剛健が長岡人気質
◆働きづめだった父母
◆大晦日には現金の束を神棚に
◆仕事をするなら東京へ
◆「事務系の業務を希望します」
《2》ヨーカ堂に入社、社会人生活が始まった
◆資本金八五〇万円、社員七〇名
◆経理課へ配属
◆早くも転職を考える
◆伊藤社長の熱いメッセージ『我等の誓』
第2章●成長への離陸準備
昭和三六年 一九六一年〜昭和四〇年 一九六五年
《1》チェーンストア化に向けて発進!
◆岩戸景気、国民所得倍増計画
◆企画調査部門への異動
◆伊藤社長の帰国第一声「チェーンストア化へ」
◆仕事が勉強、勉強が仕事
《2》第二号店を赤羽にオープン
◆小資本での出店方法の模索
◆九つの投資パターンを開発
◆返済のためのROIは一五%
《3》本部制の導入—経営新時代の始まり
◆本部制に合わせた仕組みづくりに専念
◆コンサルタント・城功さんとの出会い
◆「なぜなぜ運動」を展開
◆一〇〇%サシミ型調査
《4》「イトーヨーカ堂」に社名変更
◆経営方針の基本となる『私達の未来』発行
◆社員に未来の会社像を発表
◆会社の「合理性」と社員の「人間性」を同時に満足
《5》世の中に向け目標を力強く宣言
◆取引先等に配布した『ご挨拶』
◆業革運動の原点ここにあり
第3章●さらなる成長へのエンジン全開
昭和四一年 一九六六年〜昭和四七年 一九七二年
《1》新たな誓いを発表—『年頭の所信』
◆「質的拡大」を目標に
◆外部の専門家、経営者に学ぶ
《2》新組織体制を発表
◆将来の基盤となる試み
◆目標の明確化と働く意欲を上げる環境づくり
◆各部署の「旗印」を制定
◆私の業務の「旗印」
◆大型コンピュータでの神経組織づくり
《3》東証第二部市場への上場準備を開始
◆「上場の準備に入りなさい」
◆上場のための高いハードル
◆百貨店法の規制対策との整合性を模索
◆増資と株主構成
◆上場基準に合った社内体制づくり
◆八八〇円の公開価格
《4》逆転表示の組織図
◆お客さまがトップに、取締役はボトムに
《5》IR活動の成果
◆海外の投資家への説明
◆S&Pで「A+」の評価
第4章●新たな成長のための『マネジメントの革新』
昭和四八年 一九七三年〜昭和五七年 一九八二年
《1》激動の時代—さらなる基盤固めが続く
◆オイルショックの影響で資金繰りが逼迫
◆デニーズ、セブン‐イレブンがスタート
《2》大仕事が一段落し、充電を開始
◆田島義博教授と小売業視察ツアー
◆慶應ビジネス・スクールに入学
◆一年間、会社に顔も出さず勉強に専心
◆営業企画室総括マネジャーを拝命
《3》グループとしての成長戦略
◆経営政策室でグループ経営の研究
◆田島先生から届いた「イトーヨーカ堂の成長戦略」
◆「油絵」から「墨絵」を描く
《4》IYグループマネジメントの原則確立
◆グループ三二社を統括コントロールする仕組みづくり
◆『マネジメントの革新』が目指したもの
◆マネジメント・ガイドライン
◆プランニング・システム
◆マネジメント・プロセスおよびコントロール・システム
◆マネジメント・システムの目的と設計上の原則
◆基盤となる「経営方針」
◆成長を支えるための諸方針
◆人を大事にする経営
◆経営幹部の位置づけ
第5章●荒天に備える『マネジメントの革新』から「業革」へ
昭和五八年 一九八三年〜
《1》忍び寄る組織の歪み
◆経常利益日本一達成直後に初の減益
◆業務改革(業革)前夜
◆不況抵抗力のある体質づくり
《2》「業革」スタート!
◆イトーヨーカ堂における業務改革の実施
◆社員一人ひとりが「業革」に責任を持つ体制
◆業革を始めた直接的背景
《3》「死に筋を排除せよ!」
◆七つのステップで実行
◆単品管理を通した「仮説と検証」の発想と行動
◆売れる仕組みづくり
◆継続・進化・深耕が「業革」の本質
《4》業務改革の定量的成果
◆在庫日数・未遅納率などが激減
◆業革の「完成予想図」
◆高成長モデルから低成長モデルヘの転換
◆進化する「業革」
◆POSと「業革」
◆かくも長き「業革」——継続の秘密は?
おわりに 振り返ると一本の長い道が続いていた
あとがき
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