野生の教育論
闘争心と教養をどう磨くか
野生の教育論
闘争心と教養をどう磨くか
書籍情報
- 野村克也 著
- 定価:1650円(本体1500円+税10%)
- 発行年月:2013年12月
- 判型/造本:46並製
- 頁数:292
- ISBN:978-4-478-02478-2
内容紹介
闘争心と教養をどう磨くか。「マー君・神の子・不思議の子」——連勝記録世界新は、いかにして生まれたのか? 入団1年目に1勝をあげるまでの野村式教育法から2年目の大失敗を経て、日本一への飛躍を神様・稲尾、女房役・嶋のリードの対比で詳説。引退した山﨑、宮本、桧山、石井はなぜ40歳超までプレーできたのか。
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目次
プロローグ なぜ、私が「野生の教育論」を語るのか
第1章 野生とは「闘争心×教養」である
「ホームへのスライディング」でキャンプを始めた理由
負け犬根性を排し、悔しさを引き出す
仲よし集団を戦う集団に変えた「恥」の意識
再生で最も必要な「闘争心」
悔しさはモチベーションに変わる
突然の「解雇宣告」で負けじ魂に火がついた
野生は、なりふりかまわぬ姿勢と変わる勇気をくれる
野村式野生=「闘争心×教養」
「真の野生」を身につけ、復活した山﨑
星野楽天が震災後勝てなかった理由
「遊び」がなかった田中、大人の「緩急」のダルビッシュ
「ここ1番」で見せた臨機応変のピッチング
田中以上の逸材、則本の出現
戦う姿勢を示した両外国人がやっていたこと
オープン戦のようだった日本シリーズ
日本シリーズへの「敬意」を欠いていた楽天ベンチ
勝てる試合を落とした不可解な采配
闘志も創意工夫も感じられなかった巨人打線
なぜ、巨人打線は田中を“攻略”できたのか
嶋と対照的だった阿部
「予告先発」がシリーズを台無しにした
いまこそ“とは教育”を
おのれを知り、脇役に徹して名球会入りした宮本
闘争心が教養を誘発し、教養は闘争心を持続させる
第2章 マー君、神の子、不思議な子
──「連勝記録世界新」は、いかにして生まれたのか
真のエースの条件
新人のころからオーラが
闘争心なき者に将来性なし
若さが足りない、もっと大胆に攻めろ!
勝てなくても、ローテーションを外さなかった理由
私が犯した入団2年目の大失敗
控えだった嶋を、なぜ抜擢したのか
叱責を「闘争心」と「向上心」に変えた古田
「判断」はできても「決断」できない嶋
真面目一辺倒では一流になれない
嶋の「リード」は成長したのか
マー君の最大の不幸とは?
一流が一流を育てる
ONという最強ライバルが最大のエネルギーに
“神の子”田中は、“神様”稲尾を超えたのか?
バッターよ、もっと「野生」をもて
第3章 野生を支える「教養」をどう磨くか
1番大事なことは“耳順”である
大切なのは、技術よりも心の変革
「野球の本質とは何か」を説く
「狙い球10か条」で勝てる気にさせる
コーチは答えではなく、問題意識が高まるアドバイスを
無知無学を自覚させよ
「もっと女を口説け」の意味
「見られている」という意識を忘れるな
第4章 選手や部下の悔しさを引き出し、“眠った野生”に火をつける言葉
恐怖で煽るのは、最もレベルが低い教育法
人を見て法を説け
ほめる前に叱れ
出血覚悟で習得させた高津のシンカー
見当外れの闘争心はムダでしかない
「自分の生きる道」をどう見つけるか
「飯田の野生」を最大限に引き出した言葉
“おびえ人間”の闘争心は、こうやって引き出す
「無視作戦」が荒木の反骨心を煽った
“野村再生工場の最高傑作”のつくり方
「プライド」と「不器用」を逆手に取る再生法
新庄が「野生化」した教育法
指導で最も大切なのは、自信をもたせること
内に秘めた闘志を刺激、無難一辺倒から強気のリードへ
引きこもりのエース候補には「的当て投法」を
阪神で唯一「野生を感じた男」
「幻想が捨てきれない投手」にどう捨てさせたか
山﨑の野生に再び火をつけたひとこと
「野生のスイッチ」をチームに根づかせた中心選手の言動
「ケガ」と「故障」はどこが違うのか
「足が壊れてもセーフになりたかった」──必死の1塁ダイブ
自分のことしか考えていなかった岩隈
「ガラスのエース」が「真のエース」になったとき
まっさらな新人3選手の共通点は、ガッツと反骨心
1番野生的だったのは私?──選手の前ではじめて感極まった瞬間
いまだあきらめず
第5章 我慢力と感謝の心の育て方
桧山の阪神ひとすじ22年間を支えたもの
感謝の心が貪欲さの源泉
大卒2000本安打は、我慢力と感謝の心が生み出した
ハングリー精神をもちようがない若い人たち
あえて厳しい環境を与え、負荷をかけよ
かまうな、ほうっておけ
一流と二流を分ける気配りと目配り
「認められたい」という気持ちを引き出せ
他人からのシビアな評価が、選手の目の色を変えさせる
満足は成長の最大の敵
明確な夢や将来像をどう描くか
第6章 小事が大事を生む
一流選手だけに備わる共通の力とは
「感」じて即「動」くから、人は成長する
「一」を大事にせよ
感じないなら、執念をもて
エピローグ 美意識と自己肯定で強く生きる
疑問だった楽天がリーグ優勝を決めた配球
「力対力」という間違った美学
真のプロの美意識とは
先を見通せれば、自信が生まれる
指導者は覚悟をもて
野村克也 選手成績 / 野村克也 監督成績
著者
野村克也(のむら・かつや)
1935年、京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業後、テスト生として南海ホークスに入団。入団1年目のシーズン終了後に解雇宣告を受けるが、「どうしてもクビなら、南海電車に飛び込むしかありません!!」のひとことでかろうじて解雇を免れる。その後、不屈の闘志で練習に励み、入団4年目に本塁打王を獲得。1965年、戦後初の3冠王。
3冠王1回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP5回、ベストナイン19回、ゴールデングラブ賞1回。
1970年、35歳で南海ホークスの選手兼任監督となり、1972年に打点王、1973年にリーグ優勝。1977年まで選手兼任監督として、8年で6回のAクラス(3位以上)入りを果たす。その後、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでも「生涯一捕手」を貫き、45歳で引退。
通算試合出場3017(歴代1位)、通算安打2901(歴代2位)、通算本塁打657(歴代2位)、通算打点1988(歴代2位)、通算サヨナラ本塁打11(歴代2位)、通算犠飛113(歴代1位)。1989年、野球殿堂入り。
「野村スコープ」で話題となった9年間の解説者生活を経て、1990年からヤクルトスワローズ監督。弱小球団に、闘争心と人間教育を中心とした教養を浸透させ、ヤクルトをリーグ優勝4回、そのうち日本一へ3回導く。伸び悩む選手や他球団で戦力外となった選手を次々再生させ、「野村再生工場」といわれた。1993年、正力松太郎賞受賞。
1999年に阪神タイガース監督、2002年に社会人野球・シダックスGM兼監督を経て、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルス監督。田中将大を1年目から11勝投手&新人王に育てる。2009年、球団初のクライマックスシリーズに進出。
2013年から日本体育大学客員教授。
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